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【著名人インタビュー】リーダーシップの発揮とは自分らしくあること- ベストセラー著者・伊藤羊一氏が語る仲間の引き寄せ方

伊藤羊一氏

今回は、Zホールディングスの企業内大学「Zアカデミア」で学長として次世代の人材育成に努めながら、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部の学部長を兼任する伊藤羊一さんに登場いただきました。銀行、事業会社を経て、アントレプレナーシップ(起業家精神)教育に携われている伊藤さんに、リーダーシップなどについて伺いました。

 

【プロフィール】

伊藤羊一(いとう・よういち)

Zホールディングス株式会社 Zアカデミア学長、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(武蔵野EMC)学部長、Voicyパーソナリティ、株式会社フィラメントCIF(チーフ・イシュー・ファインダー)、株式会社ウェイウェイ 代表取締役、グロービス経営大学院 客員教授

日本興業銀行(現みずほ銀行)、プラスを経て2015年4月よりヤフー。現在Zアカデミア学長として次世代リーダー開発を行うほか社外でもリーダー開発を行う。2021年4月武蔵野大学アントレプレナーシップ学部を開設、学部長就任。代表著作「1分で話せ」。

1分で話せ伊藤羊一氏

”どん底”から始まった社会人生活

1990年に新卒で日本興業銀行に入行されましたが、当初は苦労されたようですね
社会人に馴染めなかったのです。なぜなら、「こういうことやっていきたい」とか、「自分はこういうことをやっていくのだ」という意識がなかったから。入行した当時は、バブル経済の真っただ中で、会社に入ったら一生安泰だという風潮がありました。就職とは何か、仕事をするとはどういうことかについて、一切考えていませんでした。

そのような状態で就職して、いきなりプロフェッショナルの世界に入った訳ですから、うまく適応できませんでした。社内には同期が160人いたのですが、成績はビリから4番目か5番目くらいで、それはひどかったです。“落ちこぼれ社員”という状態から、社会人生活がスタートしました。

それから数年間は朝、会社に行くときは気持ち悪くなり、夕方5時になると元気になるという状態が続きました。メンタルが弱っていたため、明日になるのが怖かったのです。退勤した後は一人でふらっと出かけて終電で帰宅し、家ではゲームをやりながら、“寝落ち”しないと眠れないという、完全なる鬱(うつ)ですよ。ついには会社にも行けなくなりました。

融資先の経理部長との出会いが転機に

そこからどのようにして、立ち直ることができたのですか
就職してから3、4年目くらいでしょうか、どうにか会社に行けるくらいには回復し、マンションデベロッパーの担当になりました。ただ、仕事に対するやる気は全然わかず、くらげのように社内で漂っているような状態でした。当時はもうバブルが崩壊していて、不動産業界は地価の下落により財務が悪化し、大変な時期でもありました。

ところが、私が担当したマンション会社はバブル崩壊による痛みが少なく、その会社の経理部長さんからよく電話をいただきました。「うちは不良資産を持っていないので、これからは新規投資ができる」などと教えてもらえるわけです。そうこうしているうちに、経理部長さんの話を聞くのが少しずつ楽しくなってきて、「この会社のために何とか貢献できたらいいな」という想いが、芽生えてきたのです。

あるとき、そのマンション会社から仕入れ(土地の取得)を再開するための融資を申し込まれました。「こんな自分に期待してもらえるのか」と、嬉しくなりましたね。融資金額も覚えていて、2億6000万円の土地取得資金でした。

職場のサポートを受けて仕事にやりがいを見出す

その融資はうまくいったのでしょうか
やってみたい案件があると、当時私の上司だった課長に相談したところ、「まずは俺を説得してみろと」言われて、一生懸命説明しました。それから、課長は「ようやく羊一がやる気になったから、みんなサポートしてやれ」とおっしゃいました。周囲の人たちも手取り足取りサポートしてくれて、例えば謄本の取り方や物件の見方などを教わりました。

周りのサポートを得ながら私も何とか最後まで頑張り、本部の審査も通って案件は成立しました。私が手がけたこの案件が、マンション業界の仕入れ再開の契機になったとされています。物件を売り出したところ、徹夜で行列ができて瞬間的にマンションが売れたと知った時には、すごいことを成し遂げたのではないかと思いました。
仕事で達成感を味わえたということですね
その1年後にマンションが完成し、内覧会に行くと、そこから出てきた親子連れが、心なしか笑顔に見えました。「この人たちの笑顔に貢献できたのかもしれない」と、衝撃を受けましたね。そのまま動けずにマンションを眺めていると、皆さん楽しそうに出入りするわけですよ。

そのとき私は28歳だったと思いますが、「ああ、仕事ってそういうことか、本当の喜びというものはこれなのか」と気づいたのです。人の笑顔に貢献することこそが仕事である、と実感しました。それが一つのきっかけとなり、とにかく精一杯仕事をして成果出す、ということができるようになりました。これまでの遅れを取り戻したい、という気持ちがあったことも確かです。

事業の最前線に立ちつつ経営大学院で学ぶ

次のターニングポイントとなった出来事は何でしょうか
次のターニングポイントとなった出来事は何でしょうか
A二つ目は、オフィス・文具メーカーのプラスに転職したことです。はじめは物流を担当し、そのあとマーケティング、営業の統括も経験しました。物流に配属になった当初は、知識も経験もないため、事業の課題について三日三晩考える、というようなことをやっていました。

その一方で、ベテランの人に話を聞くと、私が三日三晩考えたことについて15秒くらいで答えが出てきます。「ああ、これが経験の差か」と感じ、この差を埋めるのは大変だと思っていたところ、銀行時代の後輩に「伊藤さん、それはグロービス経営大学院というところに行ってみたらいいですよ」と勧められました。36歳になっていましたが、仕事をしながらグロービスに通うことにしました。
グロービスでの学びは実業に活かせましたか?
グロービスでは「クリティカル・シンキング」などの講義に衝撃を受け、思考力や問題解決力などが徹底的に鍛えられました。そしてグロービスを卒業する前に、マーケティング企画部長としてプラスグループの教育環境事業本部と、社内カンパニーであるジョインテックスの統合を実現しました。

事業統合では戦略立案に始まり、全体のプラン策定やマーケティング戦略、カタログづくり、人材戦略など全てに関わりました。統合には1年くらいかかりましたが、それがミスなく実行できたのは、グロービスで学んだことをフル活用していったからです。

マーケティングやファイナンスなどを含めて、驚くほどオンタイムで学んだことを活かすことができ、私にとってものすごい自信になりました。プロジェクトリーダーとして結果を出したことにより、遠慮せずにやるべきことをやって、リーダーシップを発揮していこうじゃないかと、マインドが変わりました。

東日本大震災で有事のリーダーシップを発揮

三つ目のターニングポイントは
東日本大震災でした。私はたまたま、マーケティング本部の副本部長という肩書きで、比較的余裕のあるポジションにいたのです。そして地震が起きたその日に、「ここは動ける自分がやるしかない」と自らリーダーシップをとり、従業員を避難させるなど行動を起こしました。震災翌日には、私とシステムの担当、物流の担当が集まり、「とにかく一刻も早く事業を復旧させよう」と決めました。

震災は金曜日に起き、翌週の月曜日には、情報を集めながら、物流拠点をひとまず復旧させるオペレーションに着手。金曜日には青森、秋田、山形の物流を復活させました。その翌週には福島、岩手、宮城と、全復旧ではなかったものの、中心部まで復旧させました。同業他社よりは、1、2週間早く復旧できたのではないでしょうか。
震災からの復旧では、なぜリーダーシップが発揮できたのでしょうか
なぜできたのかというと、こんな経緯があります。まず1995年に阪神淡路大震災が起きた際、ダイエーの中内さんが店舗を開けていたことを、鮮明に覚えていました。私は当時銀行員で、「この人は格好いいな」と感じたのです。震災時にボランティアではなく商売をやるという、中内さんの姿勢に憧れを抱いていました。

次が2004年の新潟中越地震で、そのときには何も貢献できませんでした。まだ、グロービスに通っていない頃で、物流の仕事を担当していましたがスキルも何も身についていませんでした。あの頃の悔しさが甦ってきて、東日本大震災が起きたときには体が自然に動けるようになりました。

要するに、小売業が震災で店を開けるのは「本業をきちんとやります」という宣言に他なりません。当然、本業をやり続けることによって、企業は力を発揮するわけです。私の場合も震災から2、3日後には、「これをやることが我々の使命なんだ」という想いが、舞い降りてきました。

プラスは文房具を手がけている会社で、商品をお届けするための台車や段ボール、ゴム長靴、燃料、食品なども取りそろえていて、そもそも震災からの復旧に役立つ商品を扱っていました。

そこで、大阪や九州のお客さんもモノが無くて困っているが、とにかく東北に集中しようと優先順位を決めました。総論では皆「東北は大変だから応援しよう」と言っていました。とはいえ「大阪や九州の支店長が激怒している」という話も耳に入ってきて。私のところにも怒りの電話がきましたが、取り合いませんでした。

そこで実感したのが、やるべきことをやると同時に、捨てることを決めることが有事のリーダーシップだということです。背筋にびびっと、衝撃が走りましたね。大変な状況だからこそ、志をもった人だけが先導できるとはっきり分かりました。

要するに、「本業、つまり自分が得意なことをとことん突き詰めることが、日本の復興に大きく役立つ」「短期的な支援を織り交ぜつつ、中長期的な復興をビジネスにしていく」との結論です。これをツイートしたところ、私の友人が、「羊一の目覚めの瞬間だったな」と言ってくれました。この経験が決定打でした。

ヤフー入社をきっかけに教育者としての道を歩む

銀行から事業会社へ転職されたきっかけについては
金融業に従事していた時は、自分は現場の最前線にはいなくて、補給をしているというイメージでした。最前線で勝負しているのは事業会社だと考えると、最前線に行きたいという想いが強くなっていきました。

日本興業銀行が合併によって、みずほフィナンシャルグループになることが決まり、何となく自分の会社ではなくなるという感覚もありました。そうした時に、あるイベントを通じてプラスのオーナーでいらっしゃった今泉嘉久さん(現会長)とご縁ができました。今泉さんはとても魅力的な方で、私の方から昼食をご一緒したいと申し込んだというのが、プラスに転職したきっけです。
その後ヤフーに転職された経緯について教えてください
私はプラス時代に、ソフトバンクアカデミア(孫正義氏を校長とした後継者の発掘・育成機関)に入っていて、元ヤフー社長の宮坂学さん(現東京都副知事)に声をかけて頂いたのがご縁です。Yahoo!アカデミアというものがうまくいかないと、相談を受けているうちに、ヤフーに入社することになりました。
もともと教育者になりたいと思われていたのですか?
プラスに転職してから、私のビジネスパーソンとしての人生をこの会社で終えると考えていました。ところが、宮坂さんから食事に誘われて、「グロービスでも教えているならアカデミアでも講師をやってほしい」と頼まれました。わざわざ宮坂さんが(当時プラス社長だった)今泉さんのところまで説得に来られたため、今泉さんも親心のような感じで、私を送り出して頂けたのだと思います。

私もリーダー教育のような分野は素人でしたが、こういう形でヤフーの情報革命に参画できるならと、転職を決意しました。実際ヤフーに入社してみると、いろいろな人にびっくりされましたね。

人との出会いはきっかけでしかない

2021年4月に新設された武蔵野大学のアントレプレナーシップ学部の学部長に就任されました
2019年の2月に、ヤフーで100人が集まりディスカッションするというカンファレンスが開かれました。その参加者の一人に、武蔵野大学中高学園長だった日野田直彦さんがいらっしゃって、すぐに意気投合。いきなり武蔵野大学の西本照真学長を紹介していただくことになりました。

西本学長と初めてお会いしたのが2019年の4月くらいで、8月に会食をさせていただきました。すると「伊藤さん、新しい学部をつくらないか」と言われました。どのような学部かお伺いすると「あなたのような人を育てたいんだ」とおっしゃったので、これはもう引き受るしかないと決めました。尋常ならざるスピードです。

私は授業の中で起業をするといったことや、教員は実務家教員にすること、最初の年度は私を含めてみんなで寮に住むといったアイデアを出しました。すると、西本学長は「そのままやっていい」とおっしゃるので、慌てて教員を集めてカリキュラムもつくって、2020年の2月に文部科学省に学部新設の申請書を出しました。
人との出会いも、ターニングポイントのようですね
その前に、私は足元の仕事にとにかく集中してやってきました。いろいろ仕事をしてきましたが、目の前の仕事にひたすら取り組むということです。そうすると、きっかけが勝手に降りてくるようになります。そういったチャンスやきっかけは、恐らく誰にでもたくさん降りてきていると思いますね。私がこれを掴めたのは、たまたまですよ。

人との出会いというものは、本当にきっかけでしかありません。やはり、自分の足元の仕事をしていくなかで、いろいろな人が集まってきて話ができると考えています。つまり人との出会いは結果であって、足元の仕事をとにかく一生懸命やるうちに、だんだん新しい繋がりが生まれてくるのではないでしょうか。

有事と平時で異なるリーダーシップ

リーダー像について、これだというものはありますか
決まったものがあるとしたら、ひとつあるのは「有事」と「平時」とで求められるリーダーシップが違うということでしょうか。有事はフォロミー、平時はアフターユーという言葉があり、ウクライナのゼレンスキー大統領がまさにそうです。正解がないからこそ俺について来いと、自分が先頭に立ってやっていく姿勢を示します。平時はみんながチャレンジする機会をつくる。そういうことが大事だとは言えます。

逆に言うと、それ以外の場面において、リーダーのタイプは人それぞれでいいのです。あるべきリーダー像に自分を合わせていくのではなくて、「あなたらしく生きなさい」と言うしかありません。

それはなぜかというと、「Lead the Self」が、「Lead the People」につながってくるんだと。どういうことかというと、リーダーが「俺についてこい」と部下に言ったところで、なかなか人はついてきません。「私はこれがやりたいんだ」「こういうことで社会をよくしたいんだ」といった想いがリーダーにあるからこそ、人がついてくるのだと思います。

「これは無理だ」と言う人がいる一方で、逆に「これをやろう」と言う人が仲間に加わり、チームになっていく。最初はやはり「Lead the Self」から始まって、そうこうしているうちに「Lead the People」になっていくということです。つまり、自分らしさでしかないんですよね、リーダーシップというものは。

さらにリーダーは、仲間の想いを引き出すことが大事なので、今度はリーダーとしてとにかくメンバーの話を聞くことが重要になってきます。だから今、「One on One」が流行っているのです。聞けるリーダー、聞くことによって相手の自発性を促せるリーダーが必要です。そのためには答えを教えるのではなく、まずは話を聞いて「それをやってごらん」と言って任せる、というリーダーシップが求められると考えます。

この記事を書いた人

UP STORY編集部

UP STORY編集部

本サイト運営会社のSTORY UP株式会社において、マーケティング戦略の立案・実行、SEO、サイト制作・改善、コンテンツ制作などマーケティング関連全般を担当。これまでの業務経験の中で得た知見・ノウハウを配信しています。

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